以心伝心

役員や上司の慰留を強引に振り切って、退職を決めた私は
しばらくの間、解放感に浸っていた。

退職日は諸処の都合で4月1日になったが、退職の手続きは
年度末のきりがよいところで、3月31日にすることにした。
最後の出社となった。

当日、事務長氏は休みを取っていた。
忙しい月末まして年度末に休みを取るなんて、異例のことだ。
余程、私に会いたくなかったのだろう。

私も彼に会いたくなかったからほっとした。
彼に対して、感謝の言葉を滑らかに口にする自信がなかった。
最後の最後に以心伝心するなんて皮肉なことだと思った。



営業事務に異動してから数ヶ月が経った頃、
私は給湯室で洗い物をしていた。

事務長氏が入ってきて、私に話しかけた。
まるで過去の確執など何もなかったかのように。

私は話したくなかったので、答えなかった。
それでも事務長氏は、問いかけを止めなかった。
仕方がないので、最低限の返事をした。

事務長氏は、給湯室を出て行った。
私のことを、恐ろしく執念深い奴だと思ったに
違いない。

私だって、豪放な性格になりたいと何十回、
何百回と願ってきた。
嫌なこと、悲しいこと、怒りなどの負の感情は
一刻もはやく忘れ去りたい。
忘れたいのに忘れられないから苦しいのだ。
自閉症スペクトラムの特徴)

彼から「そんな人間、俺は要らない。」と言われて
号泣したときから、私の心は凍りついてしまった。

上司としての彼にはもちろん感謝している。
しかし、それと同じくらい人としての彼には
正反対の感情を持っている。
どうにもならないから困っている。

でももう会うことはない。良かった。



手続きを終えてから、社内を回って挨拶をした。
後悔も心残りも感じなかった。
ただ、これからの身の振り方だけを考えていた。











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不協和音

新卒で就職してから27年近く、私は自分を守るために
会社の人間関係では、なるべく事なかれ主義を貫いてきた。

しかし、決して無傷だったわけではない。
事務長氏とは何度も衝突したし、おおらか氏や数名の男性
社員とは小競り合いのような経験もした。

どちらかと言えば、対女性社員より対男性社員の方が
ずっと自己主張しやすかった。

何故だろう。私は明らかに同性に対して気を遣っていた。
先輩に対しても、同僚に対しても、後輩に対してもそうだった。

28歳頃に先輩・同僚が全員退職してしまい、事務所では
最年長になってしまったから、圧倒的に後輩の方が多い。
退職する頃には、私より二回り以上年下の社員も少なく
なかった。

記憶の限りでは、私は一度たりとも後輩を強く責めたり
叱ったことはない。
自分のできる限りの誠意をもって指導してきたつもりだ。

私は人の気持ちが読めないから、他のことで傷つけて
いたかもしれないが、表面上は穏やかな関係だった。

自分が自閉症スペクトラムだと認識してから、
理由がはっきりわかった。

私はいわゆるガールズトークが苦手だった。
思考内容を適切な言葉に変換して、即座に返答する
ことができない。たとえできても微妙にずれている。


表現力豊かな女性にはとてもついて行けないから、
黙り込んでしまうしかない。
自己保身のため、無意識にそのような状況を避ける
ようにしていただけだった。





退職願が受理された数日後、私は最初で最後の
女同士の喧嘩をした。

相手は私の次に古株の社員だった。
彼女は私と違って器用で要領が良かった。

彼女はさりげなく手を抜いて、その分後輩たちに
押し付けるようなことができる人だった。

仕事分担が変更になると、それまで前の
担当者がやっていたことも理由をつけて
やらなくなってしまった。

後輩たちが困っていたから、意を決して
注意してみた。
(言うべきことをあらかじめ想定していた)
即座に口論となった。

彼女が放った最後の一言に、呆れ返って
私はあっけなく敗北した。
「私はあなたの使い走りではありませんから。」

私が、いつ彼女にそんな態度を取ったというのだろう。
心外極まりなかった。

彼女が席を外したとき、後輩たちが労わってくれた。
私は不思議なことに全く動揺していなかった。
言いたいことを言ってすっきりした。
これで、一区切りついたような感じがした。



















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無謀

退職を決意するまでの私は、常に慎重な人間だった。
慎重すぎて臆病になり、好機を逸する場合が多かった。
石橋を叩いて渡る → 石橋を叩き壊す

そんな私が、常軌を逸した行動に出た。
石橋を叩いて渡る → 石橋から川に飛び込む

周囲の人から見れば、無謀に映ったに違いない。
しかし、私には自分を守るためにこれしか
選択肢がなかったのだ。


両親と医師の承諾を得た私は、直属の上司に
退職願を提出した。

その直後、異動を命じた役員に呼び止められた。
その日の業務終了後、人事異動を発表すると言う。

私が退職願を提出したことを告げると、彼は
驚きを隠せない様子で、話し合うことになった。


業務終了後、別室で役員と上司と私の3人で
話し合いを持った。

私は母を説得した時と同じように、退職したい
理由を箇条書きにした紙を見せながら、2人に
説明した。

直属の上司は殆ど口を挟まなかった。
役員と私だけの会話になっていた。
両親と医師の承諾を受けたと言っても、
役員は納得しなかった。

「やってみなければわからないと思う。」
「そのくらいの体力がないとは信じられない。」

「女性上司について行ける自信がありません。」
「集団作業には向いていません。」
「業務に興味が持てません。」

「正社員だから、無理だと思っても明日から
来ないというわけにはいかないでしょう。」

「体力には全く自信がなく、腰痛が持病です。」

押し問答を繰り返した。

私は疲れてしまい、遂に隠していた本当の理由
を言わざるを得ないところまで追い詰められた。

2人とも私が「うつ病」だったことは知っていた。
しかし、強迫性障害」を併発していることは
知らなかった。

出来るなら隠し通したかったが、仕方がない。
長い間「強迫性障害」に苦しんでいたことを
正直に告げた。

   そして集団作業の際に、確認強迫の症状が
   現れる可能性がある。
   時間を浪費し作業が滞り、皆に迷惑をかける。
   私は周囲からの白眼視にさらされるだろう。
   本当はそれが怖いのだと・・・。


役員と上司はやっと納得してくれた。
私はほっとしたような、寂しいような気分だった。

最後に、一つだけ付け加えた。
「私は宴会が嫌いなので、送別会などの
気遣いは無用に願います。」













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説得

人事異動の内示を受けて、即座に退職を決意した私だったが、
とりあえず通院していた精神科の医師に、報告を兼ねて相談に
赴いた。

医師は、私の話を聞いてから静かに答えた。
「再就職が心配だが、退職することは妥当だと思う。」
医師の見解を聞いて、私は少なからず勇気を得ることができた。



両親には内示を受けた日の夜に、早速電話で退職の意向を
打ち明けた。
以前から、「異動が現実のものとなったら退職する。」という
意思は何度か伝えてあった。

両親にしてみれば、本気で退職したいと言い出すなんて
思いも寄らないことだったに違いない。

即座に反対された。無理もないことだと思った。
長年勤めた正社員という安定した身分を捨てるのだ。

怒ってはいなかったが、声音には困惑が現れていた。
それでも譲らない私に、母は話し合いをしようと言って
電話を終えた。

数日後訪れた母に、退職したい理由を箇条書きに
した紙を見せながら、私は延々と説得を続けた。
しかし、母はなかなか納得しなかった。

昼食の際、ふと2年前に手相を見てもらったことを
思い出した。
事務長氏とのぎくしゃくした人間関係に悩んでいた
とき、心模様をずばりと言い当てられた。

私は内心「何とかなるかも。」と希望を抱いた。
実は、母は私よりもずっとスピリチュアルなものに
惹かれやすい人間だった。
宗教に嵌まるというほど極端ではないものの、
私や妹はよくお守り等をもらっていた。

たぶんそれは祖母(母方)の影響が大きいと
思われる。
祖母はしきたりなどを大事にする人で、正月の
九星占いの暦を愛読していた。

私は母に2年前の占いの話をしてみた。
案の定、母は即座に観てもらおうと言い出した。

2年前と同じ占い師のところに行き、以前占って
もらったことを告げずに、手相を見てもらった。

結果は、「あなたは精神と神経の2つのことに
かなり影響を受けやすい人ですね。」と、
前回と全く同じことを言われた。

実は「人事異動のことで悩んでいる。」と目的を
切り出すと、

「あなたは体を使う仕事に全く向いていない。
3ヶ月以内に体調を崩すでしょう。」


「あなたの天職は公務員か教職で、一般企業
にはあまり向いていない。」

「年齢のこともあるが、思い切って違う道を
探したほうが良い。」と彼は助言した。

母は、「体を壊す」という言葉にショックを受けた
ようで、ようやく退職に同意してくれた。
母が父を説得してくれたらしく、まもなく父も
同意してくれた。



私は、2度目の休職時に上司と待ち合わせて
病院に行った時のことを思い出していた。

あのとき上司は、私に聞こえないように
母に何事かを耳打ちしていた。
母は何も言わなかった。

これは想像に過ぎないのだが、
「今後もしうつ病が再発して長期休養を余儀なく
された際は、進退を考えてもらうこともある。」
いう意味のことを言っていたのではなかろうか。

私は異動した場合、
「体調を崩す前にきっと強迫性障害からうつ状態が
悪化して、うつ病を再発するに違いない。
崩壊は近づきつつある。」と思っていた。













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絶対無理!

異動の内示を受けた際、あからさまに悲哀に満ちた表情を
浮かべた私に、上司は合点が行かないようだった。

左遷ではなく実績が認められたのだから、当然喜ぶはずだ。
そう考えていたに違いない。

「今の時代は事務だけできれば良いというものではない。
他部署の仕事も覚えて、会社に貢献してほしい。」と
念を押すように付け加えた。

私の気持ちは、正反対を示していた。
「絶対無理だ。退職するには潮時かもしれない。」


適応不可能と判断した理由はさまざまある。

業務内容
 週の半分は集団での作業に従事する
 残りの半分はデスクワークや雑務、管理的業務に従事する

組織
 女性のパート社員が多数を占め、女性の正社員は
 その一割にも満たない。
 業務の段取りは殆どの場合、男性社員が決定する



異動した場合、年齢的にただ一人の女性管理職
の下に付くことになる。
彼女は鉄のように強い女性だった。
他人にも厳しいが、自分にも厳しい。
「私について来なさい」タイプのしっかり者だった。


私は彼女を尊敬していたが、私の豆腐のような精神では
到底ついて行けないと思っていた。
せめて高野豆腐くらいにはなる必要がある。
高野豆腐になるには、精神を凍らせなければならない。


パートの女性社員の集団が怖い。
自身も立派なおばさんなのだが、幼少時より集団生活
馴染めない。
まして、正社員としてリーダーシップを発揮せざるをえない
立場になる。
私の辞書に「リーダーシップ」という言葉はない。


業務内容に興味を持てない。
場合によっては、来客交渉も視野に入れなければならない。
私は、人見知りで口下手で不器用で要領が悪い。


週半分の集団作業では、休憩をはさんで8時間、
同じ場所に起立していなければならない。
繁忙期には、早朝出勤と残業がある。
それに耐えられる体力は、たぶん無い。
腰痛持ちのデカい女(170cm強)には、周囲の人より
10cmは身長が高い故に辛い姿勢となる。



以上が表向きに挙げた理由だった。

だが、私にはもう一つ知られたくない理由があった。



















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