3歳児 脱走する

三つ子の魂百まで(みつごのたましいひゃくまで)     広辞苑第六版より
      幼い時の性質は老年まで変わらない。



私の一番最初の記憶は、3歳の春に入れられた保育園を脱走したときのものだ。

なかなか保育園の先生や環境に馴染めず、幼いながら困惑していた。

保育園では、毎日1時間くらいお昼寝の時間があって先生も添い寝をしていた。

私はどうしてもお昼寝ができず、苦痛で仕方なかった。

ある日、私はかねてからの計画を実行に移した。

先生たちが添い寝しながら、つい眠ってしまっているのをいいことに、

そうっと音をたてないように玄関の引き戸を開いて、
(昔の田舎の保育園ゆえ、施錠されていなかった)

一目散に家に向かって駆け出した。

家までの経路は、ほぼ直線で1km強くらい。

3歳児でも歩いて帰れる距離だった。

空は晴れていて、私を勇気づけてくれる感じがした。

途中で、車道をトラックが3台ぐらい通過していった。

私はトラックが巻き起こす風に煽られながら、

一心不乱に歩いた(とても長い時間に感じた)。

のどかな農村地帯の歩道を小さな子供が歩いていても

大して気にも留められない平和な時代だった。

家にたどり着くと、さすがに両親と祖母は驚いた。

私はいけないことをしたのだという自覚がなかった。

保育園の先生から、謝罪の連絡が入った。

あとは大人同士の話なので詳細は覚えていない。


「そんなに嫌なら保育園に行かなくてもいい」と、

5歳になるまでの2年間は行かずに済んだ。

しかし、いくらなんでも小学校入学前に

自分の名前くらいは書けるようにならなければいけないし、

集団生活に慣れさせなければならないので、

今度ばかりは義務として通園させられた。

私は相変わらず保育園に馴染めず、

お昼寝も一度もできず退屈だった。

仕方がないので、お昼寝の時間は空想に浸っていることにした。


私は幼い頃から、集団生活が苦手だった。



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家庭 ~ 3

 私はごく普通の家庭に育ったが、しつけは厳しかったと思う。

食べ物の好き嫌いは許されなかった。

おかげで大抵のものはおいしく食べられる。

ありがたいことである。


小学校3年生になると、自分の着るものは自分で洗濯するように言い渡された。

「今は洗濯機があって昔と比べれば楽なんだから、そのくらいやりなさい。」


中学・高校の6年間は、冬を除いて夕食の支度をすることが義務づけられていた。

両親は家業(農業)に忙しかったから、仕方がない。


ゴールデンウィークは、ちょうど春の農繁期で否応なく手伝わされた。

春に限らず農繁期は手伝うものと決められていた。

我ながらわりと素直な子供だったと思う。


素直な子供だったのに、小学生の頃

父と母にそれぞれ一度ずつお尻をぶたれた記憶がある。

  • 父  来客時に「お前は気が利かない」
  • 母  きょうだいげんかで「いい加減にしなさい」

覚えている体罰はそのくらいのものである。

しかし、私は何故お尻をぶたれたのか訳がわからず混乱していた。

おそらく私は、その頃から他者の視点に立つことに注意できていなかったのだ。



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家庭 ~ 2

発達障害自閉症スペクトラム)」は、脳機能の先天的な障害であり、

遺伝的な要素も関係しているそうである。



私の場合はどうなのだろうかと考えてみた。

私の父方の祖母は、かなり自己中心的な人であった。

私が今まで生きてこられたのは、彼女の「強情さ」を受け継いだのだと思う。

彼女が “積極的な強情”だったのに対して、

私は “消極的な強情”だった。

肯定的な言葉に言い換えると、単に「我慢強かった」だけである。


私の母方の叔母は、そううつ傾向が強い人で

そう状態のときには頑張りすぎてしまい、

うつ状態のときには別人のように見えた。


また母方の別の叔母の娘である従姉妹は、

強いストレスのあまり、一時的に日常生活を送ることも困難となり

自治体に医療費の一定額以上の免除を申請して認められた。


乳児の頃の自分について聞いた話によると、

生後1ヶ月頃まで母乳を飲んでもずっと泣いていた。
私があまりにも泣くので、母が父の従姉妹に相談した結果
母乳が足りなくて空腹で泣いているのがわかった。
それから粉ミルクに切り替えたら泣かなくなったのだそうだ。

生後3ヶ月頃、曾祖母に抱かれていた私は誤って
窓ガラスで前頭部左のこめかみの上あたりを切り、
数針縫った傷跡が今も残っている。

私は生後10ヶ月頃には、立ち上がってぴょんぴょん
跳んで遊んでいたそうだ。


これだけでは特に、因果関係があるとも思えない。

結局のところはよくわからないのである。





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家庭 ~ 1

 私の生まれ育った家庭は、北国の小さな町の農家だった。

いわゆる「機能不全家族」には程遠い、アルコール依存やギャンブル依存や虐待には

縁のないごく普通の家庭に育った。

父と母、父方の祖母、私、弟、妹の6人家族。

ただサラリーマン家庭と違ったところは、両親は家業に忙しく

また母が生来の虚弱体質で臥せっていたりすることも多かったので、

幼い頃の私たちきょうだいの面倒は、祖母が見てくれていた。

なかでも初孫だった私は祖母から溺愛されていた。

祖母はとても気性の激しい人だった。

もともと気性が激しかったらしいが、30代半ばで夫(祖父)を病気で亡くし、

舅、姑、父を含む子供3人を養わなければならなくなり、

女丈夫に拍車がかかったのある。


今も昔も変わりなく、嫁姑の関係は微妙である。

当然のことながら、母と祖母との間にはかなりの軋轢があった。

おばあちゃん子だった私は、祖母から母がどれだけ至らない嫁であるかを

毎日のように聞かされ続けた。

私は祖母の言葉を鵜呑みにしていた。

幼い頃の私にとって、母は「冷たくて怖い人」だった。 

母にしてみれば、私を祖母に奪われてしまった上に

いいように手なずけられ甘やかされて、悲しかったのだと思う。


小学校低学年の頃、担任の先生が家庭訪問に来ることを祖母に話した。

私はそのことを両親に伝えてくれるものだと、勝手に思っていた。

しかし、祖母は伝えなかった。

家庭訪問当日、知らなくて恥をかかされた両親に私は叱られた。

なんで叱られるのかわからなかった。

この件で、なんとなく「大人の事情」らしきものを学んだのだった。


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「発達障害」という言葉

 私が、発達障害という言葉を初めて耳にしてから

おそらく10年は経過していないと思います。

ここ数年間は、いろいろなメディアを通じて報道され

世の中の注目を集めるようになりました。

 私もそれらを見聞きして、自身の日常を顧みて

「私もひょっとして発達障害かも?」という危惧は抱いていたものの、

それを確認することを、心のどこかで拒否していました。

「障害」という言葉と、「発達障害」に含まれる「自閉症」という言葉に

抵抗があったのです。





今までの人生を振り返ると、転機となった年齢順に3層に分類できます。


1. 少女期(0歳~20歳)

2. 社会生活期(20歳~47歳)

3. 漂流期(47歳~現在)





私の面倒くさい気質は、

発達障害(自閉症スペクトラム)」が素となり、

年齢を重ねるごとに、

「社交不安障害」

「強迫性障害」

「うつ病」

と、少しずつ重なり絡み合っていきました。

「うつ病」は軽快して「うつ状態」なりましたが、

通院と服薬は続いています。


次回から、各層ごとの記憶を辿っていきます。






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はじめまして

私(春待つねこやなぎ)は、今年51歳を迎える女です。

私はずっと、「どこかずれている」感覚で何とか生きてきました。

それが昨年、齢50歳を超えてからこの「どこかずれている」感覚の正体を、

やっと自覚するに至りました。

正直、自覚できてほっとしております。

私はいわゆる、


「発達障害(自閉症スペクトラム)」
(障がい者レベルではなく、あくまでもグレーゾーン)」
   +
社交不安障害
   +
強迫性障害
   +
うつ状態(一時うつ病でしたが、現在は軽快)」


という、面倒くさい人間でした。

この面倒くさい気質のため、数多の失敗と

しなくてもよい心身の疲弊を繰り返して参りました。

私はそんな失敗たちを面白おかしく笑い飛ばして、

残りの人生を少しでもお気楽に過ごしたいと思い、

この場を借りて綴ることにしました。



   


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