転居

 晩夏の頃、私はようやく生気を取り戻しかけていた。

毎週通院していたのだが、たまたま医師がつぶやいた

駄洒落に「くすっ」と反応したら、医師から「その笑顔

いいねえ。その調子!」と大げさにほめられた。


自分で運転してドライブに行けるようになった。

少しだけれど、達成感を得ることができた。


そんな折、妹と両親から熱心に引越を勧められた。


当時借りていたアパートは、サイクリングロード兼

遊歩道に面していて、部屋の中にいても人の往来

を頻繁に見ることができた。

老若男女、いろいろな人が通り過ぎて行った。


部屋の構造上、家具を置く場所が限られていて、

空きスペースがあまりなかった。


私が心の余裕を失い、ストレスをため込んだのは、

そんな部屋の環境にも原因があると、思った

ようだ。


私は悩んでいた。

引越するには、少なからずエネルギーが必要だ。

部屋探し、公共料金の精算、住所変更通知・・・等。

しんどいし、面倒だと思った。


私の気が進まない様子を見て、妹が「一緒に部屋を

探そう、引越も手伝う。」と言ってくれた。


その優しさに触れて、転居を決意することができた。

転居の際は、妹夫婦と甥が手伝ってくれた。

転居先は、現在住んでいるアパート。

もうすぐ居住して10年を迎える。

あの時、転居して良かったとしみじみ思う。

本当にありがとう。



















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来訪

 当初、休職期間は1ヶ月の予定だった。

それが3ヶ月になり、6ヶ月になり、終いには

その年の末までの約8ヶ月に及んでしまった。


休職が長期化した背景には、体調不良や怪我

の影響もあるが、精神状態の快復が遅々として

進まなかったことが、最大の要因だった。


もう一度復職できるか(社会生活が送れるか)と

問われた場合、素直にうなずく自信がなかった。


自己肯定感は最低レベル、自己否定感は最高

レベルに達していた。この世に存在していても

良いのかさえ、わからなくなっていた。


ただ、このまま親に依存している訳にはいかない

という「思い込み」だけは、いつも心に抱えていた。


上司には、何度か電話で状況を報告していた。

休職期間中に3度、上司の来訪があった。
① 休職4ヶ月目 事務長氏
② 休職6ヶ月目 事務長氏と役員(部長)
③ 休職7ヶ月目 役員(部長)と役員(直属)

1回目と2回目は、実家で迎えた。

3回目は、病院の近くで待ち合わせをして、
一緒に医師の説明を受けた。

会社と上司には、誠実に対応してくれたことに
今でも感謝している。




























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雑種犬

 8ヶ月の長期にわたる休職期間に、私を癒し

時には元気付けてくれた存在がいた。

それは、当時実家で飼っていた10歳をとうに

超えた雑種犬だった。


私が高校卒業後に実家を離れてから、実家では

この雑種犬の他に、猫も数匹(親子)飼っていた。

猫たちは、家の内外を自由に行き来していた。


しかし、ある猫は交通事故の犠牲になり、他の猫も

ある日突然いなくなり戻ってこなかった。

失踪した猫たちが、自分の死期を悟っていたのか

どうかはわからない。

家族は、その度に寂しい思いをした。


雑種犬は、私にとても懐いていた。

理由は、散歩に連れて行く機会が家族で

一番多かったからだ。というより実際は、

休職中のつれづれを犬と一緒に歩くことで

紛らわせていたにすぎない。


私の体調が良くなりだした頃から、雨と雪の

日を除いて、殆ど毎日私たちは歩き続けた。


老犬ゆえに、暑い日はふらふらしたことも

あった。そんなときは、抱っこして歩いた。

いつしか戦友になったような気がしていた。


私の復職が決まり実家を離れるとき、彼は

心なしか寂しそうだった。私も寂しかった。

「また会いに来るからね。」と心の中で呟いた。



それから約2年が過ぎた冬の日の夕方、

彼は突然逝ってしまった。推定19歳。

人間にすると、90歳を超える大往生だった。

彼はその日の昼も散歩をしていたが、夕方

ばったり倒れてそれきりだった。


神さま、仏さま、そのときは私も彼のように

逝かせてください。お願いします。


雑種犬


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焦燥

 体調は少しずつ良くなってきたが、依然として

私の精神状態は停滞したままだった。


両親には、かなり心配をかけていた。

父は、「入院させるしかないのかな。」と

言っていた。

母は、別の親戚から評判の良い病院の情報を

得ると、予約を入れて私を連れ出した。

つまり、「セカンド・オピニオン」である。


その病院は、私が住んでいる市内にあった。

初診では、丁寧に話を聞いてくれた。


医師は「自分が処方しても、(実家に近い病院の医師と)

同じ薬を指定するだろうから、もう少し様子を見ても

良いのではないか。」という旨の説明をした。


私は、「転院せずにしばらく様子を見ることにします。

病状が良くなって復職したら、こちらの病院にかかり

たいと思います。」と答えた。


この結果に、私より母の方が落胆しているようだった。

私は、どうせ同じ薬を服用するのだから、実家から

距離が近い病院の方が、通院が楽だと考えただけだった。



気持ちは沈みきっていた。

本当に良くなるのか、さっぱり見当もつかない。 

自分の惨めな状態をさらすのが嫌で、誰にも

会いたくなかった。


友人から実家に寄りたいという旨のメールを

もらっても、断ってしまった。学生時代の友人を

訪ねることも可能だったにも関わらず、その気

になれなかった。


どこにも自分の居場所がないように感じていた。

「五里霧中」とはこういう状態なのかなと、

ぼんやり考えていた。











 

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転倒

 体調不良が快復しないまま、休職予定の1ヶ月は

あっという間に過ぎてしまった。

会社に休職の延長を求めるしか手立てはなかった。


やっと胸苦しさや倦怠感から解放され、食欲も元に

戻った頃、私はよくめまいや立ちくらみを起こし、

座り込んだり、転んだり、壁にぶつかったりしていた。


ある日、家の廊下を歩いていた。不意に気が遠くなり

気が付いたときには、うつ伏せに倒れていた。

額や頬、口や顎、肩などを打ったらしく痛みを覚えた。

口元に嫌な感触があり、思わず手を当てると血が

付いていた。

驚いてあたりを見回すと、床のあちこちが血液で

汚れていた。

当時、家には誰もいなかった。


鏡を見て唖然とした。

差し歯だった前歯が折れて、唇に刺さったらしく

切れていた。出血の原因はそれだった。


私は、外で働いていた母のところによたよたと

歩いて行き、状況を説明した。母は驚いて、早く

歯医者に行きなさいと、歯科医院の住所を説明

してくれた。


歯科医院に着いて傷を見せると驚かれたが、

切れた唇を丁寧に縫ってくれた。傷が治ったら

抜糸するとのことだった。

その日からしばらく食事をするにも不自由した。


散々な出来事だったが、不幸中の幸いが二つあった。


一つは、しばらく歯医者に行っていなかったので、

治療しなければならない箇所がいくつか見つかり、

休職中に全て治療できたことだった。その歯科医院の

スタッフの人たちは、とても優しくて親切だったので、

通院の度に癒された。


もう一つは、これを機に完全に禁煙できたことだった。

それ以来、たばこを吸いたいとは全く思わなくなった。


災い転じて福となる 




 







 







 

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休職その2

 休職後、約1年でうつ病を再発した私は

またしても休職せざるを得なくなった。

診断書の内容は、

「自律神経失調症のため、1ヶ月の静養を要する。」

と、前回と同じだった。


事務長氏が不審に思って、私に詳しい経緯を説明する

ように求めた。仕方がないので、正直に「うつ病」である

ことを告げた。これによって一部の上司には「うつ病」で

あることを認識されてしまったが、あくまでも一般社員

には、「自律神経失調症」という病名で通してもらった。


会社で、「うつ病」のために休職するのは私が初めて

だった。やはり一般社員には知られたくなかった。



 私は、意気消沈していた。

前回のように遊び歩く余裕は全くなかった。

事務長氏には、「変な歩き方をするように見えた。」

と言われた。

妹には、「目の焦点が合っていない。」と言われた。

医師からは前回と同様に、毎週通院して経過を

報告するように言われていた。

とりあえず、実家に帰って静養することにした。


母は、ずっと通院しているのに良くならないのは

病院が合っていないからだとして、叔母から

勧められた病院(実家から車で30分程度)に

転院するよう、私に強く促した。


私は転院する旨を医師に告げて、紹介状を

書いてもらった。

そしてそれまで処方されていた薬を中止し、

転院先から処方された薬を飲み始めた。


それによって、ますます体調が悪くなった。

前の薬の離脱症状と、新しい薬の飲み始めの

副作用が同時に現れたのだと思う。

起きていても、横になっても喉や胸がざわざわする

感覚に襲われた。食欲も減退した。

体重は53kg(身長170cm強)を切ってしまった。

成人してから、こんなに痩せたのは初めてだった。

とにかく、辛くて苦しい毎日だった。



















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復職その1

 1ヶ月の休職期間が終わり、私は元気に復職した。

復職した当時は、二度と休職することはないだろうと

思っていたし、そうならないようにしようと決意していた。


しかし、わずか1年後に私はうつ病を再発した。1ヶ月の

休職予定が延々と長引いて、結局8ヶ月の長期に及ぶ

ことになろうとは想像だにしていなかった。


 再発の原因は何だったのだろうか。

復職した年の秋頃までは調子が良かった。元の日常に

戻ることができたと思っていた。しかし、冬を迎える頃

から雲行きが怪しくなってきた。


   一時、軽減していた強迫症状がまた重症化してきた。


   40歳を過ぎてもなお、他者との間の「どこかずれている

   感覚」が一向に縮まらないという、絶望にも似た気持ち。


   そして事務所内の女性社員の中では一番年長であり、

   時にそれなりの対応を求められるという見えない圧力。


生来、不器用集団生活が苦手な私が、他者の視点

立ち、空気を読むのはもちろんそれ以上の気配りを

求められる状況が、とても苦しかった。


今ならそれが、自閉症スペクトラム」の特徴ゆえの

自分では変えられない現実だと開き直ることも可能

だが、当時の私は努力が足りない、能力がないと

自分を責め続けた。



 私は、長時間席についていると息苦しさを覚える

ようになった。まるで喉の奥に異物がずっと挟まって

いるような感覚だった。


電話の応対が、以前よりぎこちなくなっていった。


文字を書こうとすると、手が震えて力が入らない。


こんな症状は、初めてだった。

困惑と不安ばかりが膨張していった。






 




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休職その1

 40歳を迎えた春たけなわの頃、私は会社に休職を申し出た。


上司は驚いたようだが、割とすんなり許可が下りた。

医師の診断書とは、かくも効果があるものなのだ。

診断書通り、1ヶ月休職した。


両親に連絡したとき、母は「誰にでも起きる可能性があるって

言うじゃないの。20年も勤めたのだから、少しぐらい休んでも

罰は当たらないよ。」と、表面上はこともなげに言っていたが、

内心はひやひやしていたのではないかと思う。



 1ヶ月間どのように過ごしていたかというと、

端的に言えば遊びまくっていた。

●実家に頻繁に帰った。

●気ままにドライブ&散策。

●毎週1回、友人と食事をした(感謝してます)。

 (宴会など多人数の席は苦手だが、少人数の
  親しい友人との食事はごく普通に楽しめる)

●毎週1回、受診して状況を報告した。


何も考えず、20年分のストレスを解消したように、

感じていた。

私は自然に触れて、生気を取り戻した。

この世界は、生きるに値するものだと実感できた。


1ヶ月後、私は元気に復職した。













 

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自律神経失調症

 40歳を迎えた春、私の情緒は相変わらず

浮き沈みを繰り返していた。

とうとう人生の折り返し地点に到達してしまった。

しかし、この空虚感はどこから来るのだろうか。

そんなことばかり繰り返し考えていた。


感情がないわけではない。

悲しいニュースを耳にすれば悲しいし、

たまに嬉しいニュースを耳にすれば嬉しい。

でも、それは自分とは隔絶された世界で

起きている出来事のように感じられた。

つまり現実感がないのだ。


 仕事は淡々と続けていた。

一度身に付いた習慣は、おいそれと

変更はできない。しかし、以前とどこかが

違う。なぜかうっとうしい。

 
時々理由もなく、さめざめと泣けてくる。

眠りにつく前に、このまま目が覚めなくても

後悔しないのではないかと思ってしまう。


そのような症状があると医師に正直に告げた。

医師から休職を勧められた。理由は、消極的

ながら自殺願望が出てきているとのことだった。


「うつ病」で休職を願い出ることには、かなりの

抵抗があった。医師は病名を「うつ病」ではなく、

「自律神経失調症」にして診断書を作成するから、

その点は心配しなくて大丈夫だと言ってくれた。

「およそ1ヶ月の休養を要する」旨の診断書が、

手渡された。気が重かった。

じりつ‐しんけい‐しっちょう‐しょう 【自律神経失調症】

自律神経系の失調による症状。
神経症の身体的表現と考えられ、倦怠・のぼせ・冷え性・めまい・頭痛・肩こり・動悸・息切れ・食思不振・腹痛・便秘・下痢・多汗・無汗・不安・抑鬱など自覚的愁訴は多彩かつしばしば強いが、器質的異常を欠く。
不定愁訴症候群。

広辞苑第六版より引用 






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試行錯誤

 30代最後の晩夏、私は初めて心療内科の門を叩いた。

強迫性障害の発症を自覚して、既に20年近くが経過していた。

私が、医師に訴えたのは「強迫性障害」の重症化と、

憂うつな状態から抜けきれないというものであった。


 繰り返しになってしまうが、私の本質は幼少時より

発達障害の傾向があり(自閉症スペクトラム)、

成長するに従って、「社交不安障害」と「強迫性障害」、

うつ状態が加わってきた複合体である。しかもそれを

自覚できたのは昨年(50歳)のことだった。


 初診での私の主訴は、元々の問題に加わってきた

二次的問題を訴えただけであったから、ある意味

応急手当を求めていたに過ぎないことだったと

今なら理解できる。

 
症状は一進一退を繰り返していたが、劇的に快復する

ことはなかった。2~3ヶ月ごとに薬の処方が変わった。

さまざまな薬を試したので、名称は明確には覚えていない。



その間、仕事上の変化があった。

経理課と総務課が統合され、総務部となった。

長引く不況で、会社の業績も低迷していたから

定年退職や自己都合退職の補充としての

新規採用は見送られていた。新卒社員が

いない年もあった。

会社としては、最小限の人数でお互いに仕事

の補完ができる業務の効率化を進めていた。


直属の上司も、おおらか氏から私より若い上司

に変わった。彼は誠実な人柄だったので、仮に

誠実氏と呼ぶことにする。

誠実氏とは良好な関係にあったが、お互い遠慮

し合っているようなところがあった。新体制により

縦長に並んだ机の列を見て、ため息が出てきた。


「人が多いと何かと窮屈になんだよね。」と、

おかしなことを考えていた。

違和感はなかなか解消しなかった。









 




 
 

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処方薬

 悩みに悩んだ挙句、やっと病院に行く決心をした

私だったが、やはり抵抗があって初診から「精神科」の

病院は敷居が高かった。だからわざと「内科・心療内科」

という診療科目が表示されている病院を選んだのだった。

  
それは、ある記憶と結びついていた。

短大時代の下宿の近くに精神科の病院があった。

その病院の窓には鉄格子が施されていた。


時折その病院の前を通りかかると、鉄格子越しに

開け放たれた窓から、患者と思しき男性の声で

からかいの言葉が投げかけられることがあった。

とても嫌な気分になったことを覚えている。


これは一般人(若かった私はそう思っていた)の

偏見に過ぎない。 反省してます。ごめんなさい。
 


 初診当日、来院目的を聴かれた。

私は健診の結果表を取出し、貧血の再検査を

申し出た。採血された後、恐る恐る医師に

これこれこういう症状もあって悩んでいると

打ち明けた。 心臓の鼓動が速かった。うまく

伝えられただろうかと頭の中で反芻してみる。

医師はうなずいて、机の引き出しを開けて

3種類ほどの薬を取り出し、おもむろに説明を

始めた。副作用についての説明も受けた。

とりあえずは、体に合う薬かどうかを試して

症状を改善していきましょうとのことだった。


会計を済ませて外に出ると、残暑が厳しく

照りつけた。緊張がどっとほどけた。

少しだけ希望が見えてきた感じがした。













 


 







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逡巡(しゅんじゅん)

 仕事と自己啓発にのめり込み、そればかりに意識を

集中しすぎた私は、気が付くと心身のエネルギーを

使い果たしていた。意欲が減退して、倦怠感が続き

帰宅すると横になっている時間が増えた。


   私は、一向に憂うつから抜け出せない自分に、

   戸惑いと焦りを感じていた。それが高じて何かと

   悲観的に考えるようになり、ますます自己嫌悪に

   陥ってしまった。


 何か違うことに注意を向けようとしたのだが、

興味を持つ対象を見つけられず、いつしか

ふさぎ込むようになっていった。


 強迫性障害の症状も悪化し、もう自分では

どうにもできないとわかっていたのだが、

それでも病院に行くか行くまいかと、結論を

一日延ばしにしてぐずぐずしていた。

 
 そんなとき、病院に行く「大義名分」を思いついた。

私は健康診断で数年に一度は「貧血で要治療」と

結果が出ることが多かった。一番栄養状態が良くて

太っていた頃(19歳くらい)でさえ、献血しようとしたら

「低比重」ということで断られた。貧血で病院に行き、

鉄剤を処方され飲み続けると、それなりに改善する

のだが数年経つとまた元に戻ってしまう。


 その年も「貧血で要治療」となっていた。私は、近所の

「内科・心療内科」と看板表示のある病院を、貧血の

治療を名目にして訪ねることをようやく決意した。

貧血を隠れ蓑に、ついでに相談する魂胆だった。














     





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