通学生

8月下旬、求職者支援訓練を受講するための
試験を受けて、無事合格した。

私は、9月中旬から翌年1月中旬までの4ヶ月間
限りの通学生となった。

支援訓練の教室までは、公共交通機関で一区間、
自宅からは歩いて約30分と割と近かった。

無職であるからには、出来るだけ無駄な出費は
抑えなければならない。

私は、交通費の節約と運動不足解消を兼ねて
毎朝夕、合わせて1時間かけて歩いて通学した。




支援訓練のクラスメイトは11人と少なかった。
男性4人と女性7人。

20代から50代まで世代はバラバラだった。
私より年上の女性が3人いて、少し安心した。

一番若い人は、私と同じ干支で二回り(24歳)
年下の男性だった。

4ヶ月間、数回の席替えが行われたが
私は偶然にもずっと同じ席を確保した。
(中央よりやや左の最前列)

このことは幸運だったと後々、気が付いた。
聴覚による理解が遅い私は、最前列で
板書と講義に集中できたからだ。


最初のうちは、約30年ぶりの学校生活に
なかなか慣れなくて辛かった。

世の子供たちは毎日ずっと授業を受けている。
それだけで、とても偉い仕事をこなしていると
改めて思った。



慣れてくると、この束の間の学生生活が
とても楽しいものに変わっていった。

年齢がバラバラなクラスメイトとの交流や、
ディスカッションも有意義なものだった。

何より簿記の先生がかなり個性的で、
バイタリティーあふれる女性だった。

私は彼ら彼女らから、いろいろなことを
学んで吸収できたと思っている。


真面目に通学し、勉学に励んだ。
就活期間を通して、一番充実した日々
だった。
















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小休止

6月から7月にかけて応募した求人案件は
ことごとく失敗に終わった。

約15件応募したうち、1件しか書類選考を
通過することができず、その1件の面接も
惨憺たる結果に終わり、意気消沈していた。



私は気を取り直して、ハローワークが主催する
求職者支援訓練を受講するべく準備を始めた。

私が希望したのは、簿記を中心にして
後半はパソコン操作や会計ソフトの
操作方法を学ぶ講座だった。

真面目に勉強したら、企業の決算レベルまで
担うことが可能な簿記2級の資格が取得できる。


一念発起して、新たな気持ちで頑張ろうと
思った。




支援訓練を受講するためには、国語と
数学の試験があるとのことだった。

国語はたぶん大丈夫だと思うが、
数学となると30年も昔のことゆえ
数式も定かではない。

中高生の頃は、数学に興味が持てず
テスト前に勉強して、テスト後にすぐ
忘れていたからだ。


とりあえず就活生用の「一般教養」の
本を買って復習することにした。

訓練受講のための試験は、8月下旬だった。

8月の中旬までは実家に帰省したり、友人
と会うなどして割とゆったり過ごした。

次の目標が決まれば、前進するのみ。
私には妙に一途なところがあった。











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完敗

退職した年の5月までは、それに伴う手続きや
就職セミナーへの出席と相談、情報の収集に
時間を費やして過ぎてしまった。

6月からハローワークや求人誌の案件に
応募を始め、7月いっぱいで約15件に達した。

現実は厳しいもので、殆ど書類選考を通過
することができなかった。

最初の挫折である。


書類選考を通過した応募先が1件だけあった。
取り急ぎ面接を行うとのことで、私は模擬面接を
受けることなく、本番に臨んだ。

結果は惨憺たるものだった。
試験官は、キャリアウーマンの先駆けといった
雰囲気が漂う年配の女性で、威圧感があった。

私はいくつかの質問に、かろうじて答えること
ができた。

「入社後の展望は何ですか。」と質問された。

私は「業務について勉強させていただき、自己
の成長に役立てたい。」というような、後から
考えると最悪の返答をしてしまった。

それに対して、彼女から厳しい指摘を受けた。

「勉強は自分でするものです。総務の経歴
が長いから面接に呼んだのに、そんなこと
では仕事を任せられない。」


面接の合否は聞くまでもなくアウトだ。
私は一気に目が覚めた思いだった。
自分の甘さを突き付けられた。

私は彼女に礼を述べて、その場を辞した。
「貴重な時間を割いていただき、ありがとう
ございました。大変勉強になりました。」



私の希望職種は、経理や総務関係の事務
だった。
その多くが、応募資格欄に「簿記3級以上」
と記載されていた。

会計伝票の起票は実務では経験していたが、
簿記資格は持っていなかった。

私は、簿記資格を取得するため職業訓練
受講を視野に入れ始めた。


















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添削

市の「再就職支援セミナー」を受講後に決められた、
担当の就職カウンセラーの年配男性は、いかにも
ベテランといった風情を漂わせていた。

彼は、私の退職を「もったいないことしたね。」という
ふうに表現して、退職に至るまでの心の動きなどは、
そう重要なことではないように捉えているようだった。

それはそうかもしれない。
いまさら過ぎたことを振り返ってもしかたがない。


彼の仕事は、クライアントが安定した職に就くことを
手伝うことであり、それが早く実現すれば彼の実績
は評価されるし、ひいては社会貢献に繋がるとの
使命感にあふれていた。

彼の物腰はとても穏やかで丁寧だったので、
あまり緊張することなく話すことができた。


最初は履歴書の書き方について学んだ。
何度もやり直しになった。

30代までは「まじめ」と書いても許されるが、
40代以降では「がんこで融通がきかない」
というように、マイナスイメージに取られる
そうだ。

同じ言葉でも年代によって、印象が変化
するなんて難しいなと思った。


いったい自分の長所なんて、どう書けば
効果的なのだろう。
思わずため息が出てしまう。


次は職務経歴書の作成に取り掛かった。
履歴書以上に難しかった。

彼の方針は、経歴や実績はA4用紙1枚に
まとめるべきとの考えだったから、要点を
簡略な文章にするのが大変だった。

考えすぎて自分という人間は、会社員
として何をしてきたかということに懐疑的
になってしまった。

これではいけない。自信を持たなければ
これから先が思いやられる。



添削指導などを受けているうちに、
1ヶ月が経過していた。













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雇用保険

再就職支援セミナーを受講した後、就活には情報の入手
不可欠だと思い知った私は、パソコンとプリンタを買い替える
ことにした。

それまで使用していたパソコンとプリンタは、11年前に
パソコン教室に通い始めた際に購入したものだったから、
メモリも少なく動作も遅かった。

そろそろ買い替えを検討していたから、ちょうど良い機会
だと思った。




退職から約1ヶ月後、離職票が届いた。
ハローワークに求職の手続きに赴いた。

ハローワークには、総務部に在籍していた際、
書類の申請に毎月訪れていた。
私が書類申請をする窓口に行くには、求職者窓口の
横をすり抜けて階段を上がらなければならなかった。

毎月、混雑している求職者窓口の様子を見ながら、
私もいつかこの中の一人になるかもしれないという、
漠然とした予感を覚えていた。
予感は当たってしまったなあ。



雇用保険の失業給付申請の際、私の離職理由を
確認していた職員から質問を受けた。

「失礼ですが、うつ病で療養しているのですか。」
私は否定した。
「離職に際して、何らかの精神上の問題を抱えて
いたのですか。」

私は肯定し、短く説明した。

 
職員の説明によると、医師の証明書が必要だが、
うつ病で離職した場合は、受給期間が延長される。

精神上の理由で離職した場合は、受給期間は
延長されないが、待機期間なしですぐ受給できる
とのことだった。


医師に確認の連絡をしたら、現在は「うつ病」では
ないからその証明はできない。

しかし、精神上の理由で退職に至ったことは明らか
なので、その証明書は発行可能ということだった。


かくして私は、「自己都合退職」で本来なら3ヶ月の
待機期間があるにもかかわらず、失業保険金を
すぐ受給することができた。

待機期間がなくなっても、受給総額には変動がない。
受給期間が終わらないうちに、なるべく早く再就職
したいと切に願っていた。

















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事始

自分が発達障碍者ではないかという疑問に、ひとまず
終止符を打った私は、早速再就職に向けた活動を
開始した。


まず市の広報誌に記載されていた、女性を対象にした
「再就職支援セミナー」に参加してみた。

就職活動をするのは四半世紀ぶりのことだったので、
時間の経過に伴うその変わりようにショックを受けた。


就活に臨む基本的な姿勢、適職の探しかた、

企業情報の収集と分析、添え状の書き方、

履歴書・職務経歴書のアピールポイント、

履歴書の写真はある程度補正が可能である、

面接時のマナー、受け答えの仕方、

面接後のお礼状の書き方などなど・・・。

現代の就活はいろいろと作法が複雑なのだなと、
思わず感心してしまった。

感心してばかりではいられないのだった。
これを全部クリアしない限り、私の再就職は
不可能なのだ。
身が引き締まる思いがした。


そのセミナーは市が運営する就職支援機関の
主催だったので一人一人に担当の就職支援
カウンセラーが具体的な相談・指導に当たる
方式をとっていた。

私の担当は、ベテランの年配男性だった。






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始動

退職するに当たって、私はこれからの進路を決めるために
確認しておきたいことがあった。

それは数年前から気になっていたことだが、確かめるのが
怖くて、むりやり意識の片隅に追いやっていたある疑念だった。

はたして、自分は「発達障碍者」なのだろうか?

私は地域の精神保健福祉センター宛に、悩みや経緯を綴った
相談メールを送った。

数日後、返信メールが届いた。
それには、発達障害の診断ができる病院と支援機関のリスト
添付されていた。

そのリストに記載されていた障碍者の就業・生活支援機関に
電話をかけて、相談の申し込みをした。

相談当日は精神保健福祉士の女性が、応対してくれた。
私は今までの悩みや経歴等を箇条書きにした紙を見ながら、
何とか下手な説明をすることができた。

彼女の対応は親切で、その機関の支援内容を説明してくれた。
しかし、それはあくまでも障碍者と認定された人たちに対する
支援ということだった。

まずは、障碍者に該当するかどうか、医師に確認することが
前提になると言われた。

私はその助言に従い、当時通院していた精神科の医師に
もう一度症状の確認をしてみた。

医師は確かに発達障害の傾向は認められるが、障碍者
レベルではなく、長らく社会生活を営んできたことを考慮
に入れると、病状は「強迫性障害が主なうつ状態」である
と繰り返した。

私は「障碍者には該当しない」という言葉に安心して、
障碍者枠ではなく一般の求職者として就職活動を
始める決心をした。

しかし、このことが1年数ヶ月後に、私を極端に
落胆させる原因になるとは考えもしなかった。








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3年余

繰り返しになってしまうが、私が自分の正体を認識できた
のは昨年の5月下旬だった。

自閉症スペクトラム
    +
社交不安障害
    +
 強迫性障害
    +
  うつ状態

長年勤めた会社を退職してから、既に3年余が経過し
私は50歳を迎えていた。

この3年余の間に実に多くの経験をした。
逆にこの期間がなければ、私はずっと疑問を
抱えたままだったと思う。
そして少しは、成長できたような気がする。

現実は想像以上に厳しかった。
長年にわたって一企業で勤務し続けたという、
わずかな自己肯定感はこっぱみじんに打ち砕かれた。

いかに自分が世間知らずかということを、
嫌というほど思い知らされた。

何度も何度も転んでは起き上がる。
その繰り返しだった。


具体的にしていたこと・・・

(もちろん)再就職活動

求職者支援訓練

資格取得のための自宅学習

数回に及ぶ就職と離職

入院・手術・静養(完治した)

同居犬の発病と見守り

精神科通院

就職相談等


楽しいこともあったけれど、辛いことの
方が多かった。

それでも歩き続けなければならない。
長い長い登り坂、毎日毎日少しずつ
自分をなだめすかしながら。

いつか登りきれるかな。
いつか晩成(一人前になる)できるかな。



























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以心伝心

役員や上司の慰留を強引に振り切って、退職を決めた私は
しばらくの間、解放感に浸っていた。

退職日は諸処の都合で4月1日になったが、退職の手続きは
年度末のきりがよいところで、3月31日にすることにした。
最後の出社となった。

当日、事務長氏は休みを取っていた。
忙しい月末まして年度末に休みを取るなんて、異例のことだ。
余程、私に会いたくなかったのだろう。

私も彼に会いたくなかったからほっとした。
彼に対して、感謝の言葉を滑らかに口にする自信がなかった。
最後の最後に以心伝心するなんて皮肉なことだと思った。



営業事務に異動してから数ヶ月が経った頃、
私は給湯室で洗い物をしていた。

事務長氏が入ってきて、私に話しかけた。
まるで過去の確執など何もなかったかのように。

私は話したくなかったので、答えなかった。
それでも事務長氏は、問いかけを止めなかった。
仕方がないので、最低限の返事をした。

事務長氏は、給湯室を出て行った。
私のことを、恐ろしく執念深い奴だと思ったに
違いない。

私だって、豪放な性格になりたいと何十回、
何百回と願ってきた。
嫌なこと、悲しいこと、怒りなどの負の感情は
一刻もはやく忘れ去りたい。
忘れたいのに忘れられないから苦しいのだ。
自閉症スペクトラムの特徴)

彼から「そんな人間、俺は要らない。」と言われて
号泣したときから、私の心は凍りついてしまった。

上司としての彼にはもちろん感謝している。
しかし、それと同じくらい人としての彼には
正反対の感情を持っている。
どうにもならないから困っている。

でももう会うことはない。良かった。



手続きを終えてから、社内を回って挨拶をした。
後悔も心残りも感じなかった。
ただ、これからの身の振り方だけを考えていた。











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不協和音

新卒で就職してから27年近く、私は自分を守るために
会社の人間関係では、なるべく事なかれ主義を貫いてきた。

しかし、決して無傷だったわけではない。
事務長氏とは何度も衝突したし、おおらか氏や数名の男性
社員とは小競り合いのような経験もした。

どちらかと言えば、対女性社員より対男性社員の方が
ずっと自己主張しやすかった。

何故だろう。私は明らかに同性に対して気を遣っていた。
先輩に対しても、同僚に対しても、後輩に対してもそうだった。

28歳頃に先輩・同僚が全員退職してしまい、事務所では
最年長になってしまったから、圧倒的に後輩の方が多い。
退職する頃には、私より二回り以上年下の社員も少なく
なかった。

記憶の限りでは、私は一度たりとも後輩を強く責めたり
叱ったことはない。
自分のできる限りの誠意をもって指導してきたつもりだ。

私は人の気持ちが読めないから、他のことで傷つけて
いたかもしれないが、表面上は穏やかな関係だった。

自分が自閉症スペクトラムだと認識してから、
理由がはっきりわかった。

私はいわゆるガールズトークが苦手だった。
思考内容を適切な言葉に変換して、即座に返答する
ことができない。たとえできても微妙にずれている。


表現力豊かな女性にはとてもついて行けないから、
黙り込んでしまうしかない。
自己保身のため、無意識にそのような状況を避ける
ようにしていただけだった。





退職願が受理された数日後、私は最初で最後の
女同士の喧嘩をした。

相手は私の次に古株の社員だった。
彼女は私と違って器用で要領が良かった。

彼女はさりげなく手を抜いて、その分後輩たちに
押し付けるようなことができる人だった。

仕事分担が変更になると、それまで前の
担当者がやっていたことも理由をつけて
やらなくなってしまった。

後輩たちが困っていたから、意を決して
注意してみた。
(言うべきことをあらかじめ想定していた)
即座に口論となった。

彼女が放った最後の一言に、呆れ返って
私はあっけなく敗北した。
「私はあなたの使い走りではありませんから。」

私が、いつ彼女にそんな態度を取ったというのだろう。
心外極まりなかった。

彼女が席を外したとき、後輩たちが労わってくれた。
私は不思議なことに全く動揺していなかった。
言いたいことを言ってすっきりした。
これで、一区切りついたような感じがした。



















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無謀

退職を決意するまでの私は、常に慎重な人間だった。
慎重すぎて臆病になり、好機を逸する場合が多かった。
石橋を叩いて渡る → 石橋を叩き壊す

そんな私が、常軌を逸した行動に出た。
石橋を叩いて渡る → 石橋から川に飛び込む

周囲の人から見れば、無謀に映ったに違いない。
しかし、私には自分を守るためにこれしか
選択肢がなかったのだ。


両親と医師の承諾を得た私は、直属の上司に
退職願を提出した。

その直後、異動を命じた役員に呼び止められた。
その日の業務終了後、人事異動を発表すると言う。

私が退職願を提出したことを告げると、彼は
驚きを隠せない様子で、話し合うことになった。


業務終了後、別室で役員と上司と私の3人で
話し合いを持った。

私は母を説得した時と同じように、退職したい
理由を箇条書きにした紙を見せながら、2人に
説明した。

直属の上司は殆ど口を挟まなかった。
役員と私だけの会話になっていた。
両親と医師の承諾を受けたと言っても、
役員は納得しなかった。

「やってみなければわからないと思う。」
「そのくらいの体力がないとは信じられない。」

「女性上司について行ける自信がありません。」
「集団作業には向いていません。」
「業務に興味が持てません。」

「正社員だから、無理だと思っても明日から
来ないというわけにはいかないでしょう。」

「体力には全く自信がなく、腰痛が持病です。」

押し問答を繰り返した。

私は疲れてしまい、遂に隠していた本当の理由
を言わざるを得ないところまで追い詰められた。

2人とも私が「うつ病」だったことは知っていた。
しかし、強迫性障害」を併発していることは
知らなかった。

出来るなら隠し通したかったが、仕方がない。
長い間「強迫性障害」に苦しんでいたことを
正直に告げた。

   そして集団作業の際に、確認強迫の症状が
   現れる可能性がある。
   時間を浪費し作業が滞り、皆に迷惑をかける。
   私は周囲からの白眼視にさらされるだろう。
   本当はそれが怖いのだと・・・。


役員と上司はやっと納得してくれた。
私はほっとしたような、寂しいような気分だった。

最後に、一つだけ付け加えた。
「私は宴会が嫌いなので、送別会などの
気遣いは無用に願います。」













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説得

人事異動の内示を受けて、即座に退職を決意した私だったが、
とりあえず通院していた精神科の医師に、報告を兼ねて相談に
赴いた。

医師は、私の話を聞いてから静かに答えた。
「再就職が心配だが、退職することは妥当だと思う。」
医師の見解を聞いて、私は少なからず勇気を得ることができた。



両親には内示を受けた日の夜に、早速電話で退職の意向を
打ち明けた。
以前から、「異動が現実のものとなったら退職する。」という
意思は何度か伝えてあった。

両親にしてみれば、本気で退職したいと言い出すなんて
思いも寄らないことだったに違いない。

即座に反対された。無理もないことだと思った。
長年勤めた正社員という安定した身分を捨てるのだ。

怒ってはいなかったが、声音には困惑が現れていた。
それでも譲らない私に、母は話し合いをしようと言って
電話を終えた。

数日後訪れた母に、退職したい理由を箇条書きに
した紙を見せながら、私は延々と説得を続けた。
しかし、母はなかなか納得しなかった。

昼食の際、ふと2年前に手相を見てもらったことを
思い出した。
事務長氏とのぎくしゃくした人間関係に悩んでいた
とき、心模様をずばりと言い当てられた。

私は内心「何とかなるかも。」と希望を抱いた。
実は、母は私よりもずっとスピリチュアルなものに
惹かれやすい人間だった。
宗教に嵌まるというほど極端ではないものの、
私や妹はよくお守り等をもらっていた。

たぶんそれは祖母(母方)の影響が大きいと
思われる。
祖母はしきたりなどを大事にする人で、正月の
九星占いの暦を愛読していた。

私は母に2年前の占いの話をしてみた。
案の定、母は即座に観てもらおうと言い出した。

2年前と同じ占い師のところに行き、以前占って
もらったことを告げずに、手相を見てもらった。

結果は、「あなたは精神と神経の2つのことに
かなり影響を受けやすい人ですね。」と、
前回と全く同じことを言われた。

実は「人事異動のことで悩んでいる。」と目的を
切り出すと、

「あなたは体を使う仕事に全く向いていない。
3ヶ月以内に体調を崩すでしょう。」


「あなたの天職は公務員か教職で、一般企業
にはあまり向いていない。」

「年齢のこともあるが、思い切って違う道を
探したほうが良い。」と彼は助言した。

母は、「体を壊す」という言葉にショックを受けた
ようで、ようやく退職に同意してくれた。
母が父を説得してくれたらしく、まもなく父も
同意してくれた。



私は、2度目の休職時に上司と待ち合わせて
病院に行った時のことを思い出していた。

あのとき上司は、私に聞こえないように
母に何事かを耳打ちしていた。
母は何も言わなかった。

これは想像に過ぎないのだが、
「今後もしうつ病が再発して長期休養を余儀なく
された際は、進退を考えてもらうこともある。」
いう意味のことを言っていたのではなかろうか。

私は異動した場合、
「体調を崩す前にきっと強迫性障害からうつ状態が
悪化して、うつ病を再発するに違いない。
崩壊は近づきつつある。」と思っていた。













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